2011年4月7日

ガンバレ、東北

1週間の気仙沼市大島での応援派遣を終えました。

桜咲く平和な四国の右下で、
現実感を喪失したまま、
心を東北に置いたまま、
このブログを書いてます。

大島は、ホタテやホヤなどの養殖業と、
観光業の、
人口3,300人のきれいな島です。

現地の状況は、想像をはるかに超えるものでした。

島を乗り越えた津波は、
家、クルマ、船、養殖いかだ、防波堤、松林、
すべてを飲み込んで、海に連れ去りました。

下の写真は、厚さ2mのコンクリート製桟橋もろとも、
打ち上げられたフェリー。




朝日のなか、 まるで戦場にいるかのよう。
すべての建物を失った、浦の浜。



水も電気も途絶えた島で、
僕がお手伝いしたのは、
支援物資の配給作業。

これが、一緒に作業した地元の仲間。
津波に家を飲まれながらも、
動けないお父さんを抱いて離さず守りきった、千葉さん。
家と養殖いかだを失いました。

クルマに乗ったまま、奥さんと津波に飲まれながら、
奥さんを助け、自分も生き抜いた、熊谷さん。

勤めていた仙台の会社を辞め、
生まれ故郷の大島に駆けつけた橋本くん。


みんな、大切なものを失いながら、
震災以来、休むことなく朝から晩まで働いてます。


悲運を悔やむわけでなく、
淡々と、
島民に、
支援物資を届け続けています。





被災者でない、僕でさえ、
どうやって復旧するのか、
呆然としてしまう状況のなか、
グッとくる光景を見ました。


地盤沈下で、満ち潮で海水が洗いはじめる、船着場。
小学生くらいの少年が、
防波堤のつもりなのか、
盛り土を、たったひとりで始めました。





それを見ていた、米兵が、
黙って手伝い始めました。

たぶん、車両の通行の邪魔になるだけのものです。
でも、彼は止めることも、傍観することも、
できなかったんだと思います。




島で地元のみなさんと触れ合って、感じました。
東北人は、誠実で、とても強い。

船着場で、見送ってくれた、千葉さんの、
痛いほどの握手と涙。

たった1週間しかいられない自分が情けなく、
帰りのバスでは、一睡もできませんでした。

来月、また行かせてもらうつもりです。
次は、さらに大きな被災地、女川です。

2 件のコメント:

和三郎 さんのコメント...

鰹を追った高知や和歌山、静岡、神奈川、千葉などの船団は、気仙沼をはじめ宮古や釜石などの三陸に水揚げします。
実は気仙沼が鰹の水揚げ量日本一なのです。
夏場になると影響が出てくると想います。

surfrider さんのコメント...

昨日、テレビで気仙沼の漁協者や関連企業の協議会が立ち上がり、復興の第一歩として、6月1日のカツオ漁再開の活動が始動したことが報じられました。とてもうれしい記事でした。
義援金を送ったり、支援活動に参加するのも大切だけど、被災地でない地域が、自分の仕事を頑張って経済を活性化することも、大きな支援になると思います。