桜咲く平和な四国の右下で、
現実感を喪失したまま、
心を東北に置いたまま、
このブログを書いてます。
大島は、ホタテやホヤなどの養殖業と、
観光業の、
人口3,300人のきれいな島です。
現地の状況は、想像をはるかに超えるものでした。
島を乗り越えた津波は、
家、クルマ、船、養殖いかだ、防波堤、松林、
すべてを飲み込んで、海に連れ去りました。
下の写真は、厚さ2mのコンクリート製桟橋もろとも、
打ち上げられたフェリー。
朝日のなか、 まるで戦場にいるかのよう。
すべての建物を失った、浦の浜。
水も電気も途絶えた島で、
僕がお手伝いしたのは、
支援物資の配給作業。
これが、一緒に作業した地元の仲間。
津波に家を飲まれながらも、
動けないお父さんを抱いて離さず守りきった、千葉さん。
家と養殖いかだを失いました。
クルマに乗ったまま、奥さんと津波に飲まれながら、
奥さんを助け、自分も生き抜いた、熊谷さん。
勤めていた仙台の会社を辞め、
生まれ故郷の大島に駆けつけた橋本くん。
みんな、大切なものを失いながら、
震災以来、休むことなく朝から晩まで働いてます。
悲運を悔やむわけでなく、
淡々と、
島民に、
支援物資を届け続けています。
被災者でない、僕でさえ、
どうやって復旧するのか、
呆然としてしまう状況のなか、
グッとくる光景を見ました。
地盤沈下で、満ち潮で海水が洗いはじめる、船着場。
小学生くらいの少年が、
防波堤のつもりなのか、
盛り土を、たったひとりで始めました。
それを見ていた、米兵が、
黙って手伝い始めました。
たぶん、車両の通行の邪魔になるだけのものです。
でも、彼は止めることも、傍観することも、
できなかったんだと思います。
黙って手伝い始めました。
たぶん、車両の通行の邪魔になるだけのものです。
でも、彼は止めることも、傍観することも、
できなかったんだと思います。
島で地元のみなさんと触れ合って、感じました。
東北人は、誠実で、とても強い。
船着場で、見送ってくれた、千葉さんの、
痛いほどの握手と涙。
たった1週間しかいられない自分が情けなく、
帰りのバスでは、一睡もできませんでした。
来月、また行かせてもらうつもりです。
次は、さらに大きな被災地、女川です。
東北人は、誠実で、とても強い。
船着場で、見送ってくれた、千葉さんの、
痛いほどの握手と涙。
たった1週間しかいられない自分が情けなく、
帰りのバスでは、一睡もできませんでした。
来月、また行かせてもらうつもりです。
次は、さらに大きな被災地、女川です。
2 件のコメント:
鰹を追った高知や和歌山、静岡、神奈川、千葉などの船団は、気仙沼をはじめ宮古や釜石などの三陸に水揚げします。
実は気仙沼が鰹の水揚げ量日本一なのです。
夏場になると影響が出てくると想います。
昨日、テレビで気仙沼の漁協者や関連企業の協議会が立ち上がり、復興の第一歩として、6月1日のカツオ漁再開の活動が始動したことが報じられました。とてもうれしい記事でした。
義援金を送ったり、支援活動に参加するのも大切だけど、被災地でない地域が、自分の仕事を頑張って経済を活性化することも、大きな支援になると思います。
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